ガソリンの値段がもうとんでもないところまで来てしまったので、日々の行動が変わってきた。
以前は休日にはわりと近郊までドライブということが多かったのだが、今はほとんど出かけなくなって、電車で行ける範囲をうろうろする事が多くなった。ちょっとした距離を散歩するようになった。するとクルマだったら気づかないような面白い店を見つけたりして、それはそれでとても楽しいということを発見した。
クルマに乗るのが少なくなったとはいえ、やっぱりクルマじゃないと行けない場所もあって、仕方なくクルマで出かける。しかしその時にエアコンをつけずに窓を開けて走るようになった。エアコンと比べたら快適さは格段に落ちるのだが、それでもガマンしているというほどのことはない事がわかった。風を感じて走るというのも悪くはないものだ。
それで考えたことは、今の暮らしは少しばかり贅沢になりすぎているのだなあということだった。エアコンをかけて寒いといって厚着をしてみたりブランケットをかけてみたりみないなどこか倒錯したガマンよりは、夏の暑さをガマンするほうがよほど健康的なガマンじゃないか。食べ物だっていつでも食べられるように過剰に作って残す暮らしに慣れすぎているような気がするし、何でもかんでも年中食べられなくたって別に困らないじゃない?
別に豊になることが悪いと思っているわけではない。ちょっとガマンをしてみたら、それは意外と深刻なガマンじゃないってことを感じたのだ。モノの値段が高くなっても、まだまだちょっとしたガマンで済んでしまう。テレビで生活防衛とかなんとか騒いだりしているけど、まだちょっとしたガマンの範囲で、そんなに深刻なものじゃない。もちろんそうじゃない人たちがいることも承知はしているけど。
で、こりゃ厳しいよなと思ったのは、物価がじわじわあがっても、デフレはそう簡単に収まらないってことなのだ。要するに今まで安すぎるモノによりかかって余分に贅沢していただけで、物価はまだ普通の水準までは上がっていない。上がったら上がったで、贅沢しすぎていた部分がとりあえず解消されるだけだから、みんな必要なものしか買わないので、今までの贅沢推奨型の経済にどっぷり浸かったビジネスモデルはうまくいかなくなってしまうのだな。
まあ、いずれは贅沢貯金も使い果たしてしまう時が来るのかもしれないから、徐々にガマンに慣れていくのも悪くないのではないかなあとウチワを使いながら考えた。
[いいですね]
最近は、世の中の値上がり傾向をひしひしと感じますね。
だから我が家でもちょっと家計を切り詰めだしました。
いったん節約モードに入ると、今まで普通だと思って買っていた物が
実はどれくらい贅沢品だったのか、わかるようになりましたねー。
昨日久しぶりに桃をいただいて
桃って、こんなに贅沢品だったんだ!と味わいもひとしおでしたよ。
切り詰めるところは切り詰めて
ほんとに欲しい時に思い切って使う、というのが
贅沢中の贅沢かもしれませんね。
贅沢と感じるかどうかは、気持ちの持ちようですねー。
ウチワ、良いですね!
投稿情報: えび | 2008/07/06 21:24
こんなことを言うと歳のせいと言われるでしょうけど、僕達の子供の頃って今と比べたら随分貧しかったなあと思うんですよ。もっと便利になったらとかもっと贅沢できたらとは思っていたような気はするんですが、それですごく不自由だったかといえばそんなこともなかったような気がするんですね。
この間会社の同僚とこんな話をしました。物価が上がって生活費を切り詰めることも考えるけど、ちょっと考えると一回外食やめたら一週間分の食費が浮いてきたりするようなところもあって、その一回の外食をやめたからすごくガマンしている感じがするかと言ったらそんなこともない。というような話。
昔は外食はウキウキしたけど、年中やってりゃ別にうれしくない。ケーキだって昔ほどうれしくない。そういう意味では贅沢でもなんでもないただの浪費になっていることって多いんですよね。
休日に、あまり行ったことのない街を2〜3時間ブラブラ歩いてみると、思いがけないモノを見つけたりして、それはそれは贅沢な気分になったりするんですよねえ。
そういうのって、健康にも良さそうだったりして、今までなんだったんだろう?って思います。ま、人の気持ちってのはちょっとしたことで変わってしまうものなんですよね(^^)。
投稿情報: んちば | 2008/07/06 21:46