「ミャンマーの柳生一族」を読み終わったので、すぐに次の本に取り掛かって、この本もあっという間に読み終わってしまった。
著者は世界の普通の人が行けない場所に行くのが生きがいという人で、だから色んな言葉を必要に迫られて学んでいるのだが、そのアプローチは基本的に日本にいる外国人をつかまえて教えてもらうというものだったらしい。
アフリカに行くためにフランス人からフランス語を習ったり、さらにリンガラ語を習ったり、南米に行くためにスペイン人からスペイン語を習ったり、タイに就職して一時帰国してタイに戻るのに飛行機を使わないで行こうとして途中の大連で中国語を習ったり(これは日本じゃないけど)という感じでいろんな言葉を操る不思議な日本人だ。
この本にはそんな形で付き合うことになったトーキョーの外国人との日々が書かれている。
外国人からみたニッポン、各々の母国の事情などを、ニッポン人というより無国籍な目で見ているようなところがあってなかなか面白く、ちょっと寂しい話の数々。
言語コンプレックスは日本人特有のものなのかと思ったら、実はそうではないというのは僕にとってはちょっとしたカルチャーショックだった。
本屋でなんとなく手にとった「ワセダ三畳青春記」から、すっかり高野秀行にはまってしまった。本屋通いはこれだからやめられないのだな。
著者は世界の普通の人が行けない場所に行くのが生きがいという人で、だから色んな言葉を必要に迫られて学んでいるのだが、そのアプローチは基本的に日本にいる外国人をつかまえて教えてもらうというものだったらしい。
アフリカに行くためにフランス人からフランス語を習ったり、さらにリンガラ語を習ったり、南米に行くためにスペイン人からスペイン語を習ったり、タイに就職して一時帰国してタイに戻るのに飛行機を使わないで行こうとして途中の大連で中国語を習ったり(これは日本じゃないけど)という感じでいろんな言葉を操る不思議な日本人だ。
この本にはそんな形で付き合うことになったトーキョーの外国人との日々が書かれている。
外国人からみたニッポン、各々の母国の事情などを、ニッポン人というより無国籍な目で見ているようなところがあってなかなか面白く、ちょっと寂しい話の数々。
言語コンプレックスは日本人特有のものなのかと思ったら、実はそうではないというのは僕にとってはちょっとしたカルチャーショックだった。
本屋でなんとなく手にとった「ワセダ三畳青春記」から、すっかり高野秀行にはまってしまった。本屋通いはこれだからやめられないのだな。
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