中学生の頃、歴史は好きだけど地理は嫌いという人がよくいた。僕は地理のほうが好きだったけど、どっちだっていいとも思っていた。
というのは、歴史を深く学ぶには地理が欠かせないと思っていたからだ。
ある事象がなぜ起こったのかを考えていくと、その事象が起きた土地が大きな影響を及ぼしていることが多いからである。考えてみれば当たり前だ。文明が生まれるところには食糧生産可能な土地が必要だし、それには水が得られることが条件になる。外敵から身を守るなら侵入口が少ない場所が良い。そういう場所はみんなが欲しがるわけだから争いごとが起きる。それが歴史を作っていくという具合。
逆に、地理を学んでいくとその土地の歴史を紐解かなければならなくなる。たとえばある地名がなぜそう呼ばれているかとか、なぜそこに特定の産業が生まれたかなどを考えるには歴史を学ばなければならない。だから歴史と地理は表裏一体だ。
なかでもこの本が扱っている境界、これは人間の営みの本質的なものと言ってもいいものだ。境界があるから歴史が生まれ、歴史的な理由で境界が存在している。
僕は北海道で生まれ育ったから、県境というのはほとんど意識したことがない。だから県境で起きる悲喜こもごもに興味を持って、それでこの本を買った。
今の県境を語るには、江戸時代の藩制を知らなければならない。藩制でまだ足りないならもっと昔に定められた国という制度にさかのぼる必要がある。
この本はまず五畿七道から始まって主に明治以降の廃藩置県以降の話題が中心になっている。
それにしても境界を定めるというのはなんと難儀なことか。現在でも境界が未定の場所がいくつもあるし、謎の飛び地もたくさんある。なかでも面白かったのは長さ7キロ以上にわたって山形と新潟の県境にはさまれた幅1メートルの福島県の話。なぜそんなものが存在するのか、説明されればなるほどである。
廃藩置県の苦労を見ると、道州制への道のりは平坦ではないということがわかったりして、なかなか興味深いものがある。
北海道に生まれ育ってみると、自分は平均的な日本人の感覚から結構ズレているのかもしれないなあと思ったりすることがある。土地に執着があまりなくて、なぜそんなに境界でモメなければならないんだろうなどと思ったりもするのだが、この本を読んで北海道よりずっと小さい県がいくつも存在する理由が少し理解できたような気がするのである。
というのは、歴史を深く学ぶには地理が欠かせないと思っていたからだ。
ある事象がなぜ起こったのかを考えていくと、その事象が起きた土地が大きな影響を及ぼしていることが多いからである。考えてみれば当たり前だ。文明が生まれるところには食糧生産可能な土地が必要だし、それには水が得られることが条件になる。外敵から身を守るなら侵入口が少ない場所が良い。そういう場所はみんなが欲しがるわけだから争いごとが起きる。それが歴史を作っていくという具合。
逆に、地理を学んでいくとその土地の歴史を紐解かなければならなくなる。たとえばある地名がなぜそう呼ばれているかとか、なぜそこに特定の産業が生まれたかなどを考えるには歴史を学ばなければならない。だから歴史と地理は表裏一体だ。
なかでもこの本が扱っている境界、これは人間の営みの本質的なものと言ってもいいものだ。境界があるから歴史が生まれ、歴史的な理由で境界が存在している。
僕は北海道で生まれ育ったから、県境というのはほとんど意識したことがない。だから県境で起きる悲喜こもごもに興味を持って、それでこの本を買った。
今の県境を語るには、江戸時代の藩制を知らなければならない。藩制でまだ足りないならもっと昔に定められた国という制度にさかのぼる必要がある。
この本はまず五畿七道から始まって主に明治以降の廃藩置県以降の話題が中心になっている。
それにしても境界を定めるというのはなんと難儀なことか。現在でも境界が未定の場所がいくつもあるし、謎の飛び地もたくさんある。なかでも面白かったのは長さ7キロ以上にわたって山形と新潟の県境にはさまれた幅1メートルの福島県の話。なぜそんなものが存在するのか、説明されればなるほどである。
廃藩置県の苦労を見ると、道州制への道のりは平坦ではないということがわかったりして、なかなか興味深いものがある。
北海道に生まれ育ってみると、自分は平均的な日本人の感覚から結構ズレているのかもしれないなあと思ったりすることがある。土地に執着があまりなくて、なぜそんなに境界でモメなければならないんだろうなどと思ったりもするのだが、この本を読んで北海道よりずっと小さい県がいくつも存在する理由が少し理解できたような気がするのである。
最近のコメント