僕は翻訳モノが苦手だ。どういうわけか独特の翻訳くささみたいなものが昔からあまり好きではないのだ。本屋にはよく行くが、外国文学の棚の前はあまり近づかない。
そういう意味で言うと、村上春樹の作品は、彼のオリジナルの作品でさえ翻訳っぽくて、実は苦手な部類に入るのだが、読み始めるとやめられなくなるような魅力がある。それで彼の翻訳モノから苦手を克服しようと考えてこの本を手に取った。
読み終わってみると、流れるような文体とか簡潔だけど頭のなかに鮮やかに描くことができる情景描写はさすがだなと思うのだが、その「さすが」はやはり村上春樹に向けたものであって、フィッツジェラルドの良さとして感じるためには結局原書を読むしかないのだろうなという思いを強く持った。ひょっとするとそういうもどかしさが翻訳モノを避ける遠因なのかもしれない。と言って原書を読むなんてとても無理なのだけれど。
オリジナルは90年近くも前の話だが、同じ頃の日本文学の作品と同じような空気を感じる。科学技術の発達が世界中の人々に同じような世界観を持たせはじめる最初の時期だったのかもしれないな。と漠然と考えたが、社会的な階級みたいなものが今よりもくっきりしている所が似通っていると感じる部分なのかもしれない。こういう階級みたいなものって、今現在の自分たちには見えないモノなのかもしれないけど。
まあ、そんな難しいことはとりあえず置いといて、もう少し翻訳モノに親しんでみようと改めて思った。
グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)
Francis Scott Fitzgerald 村上 春樹
by G-Tools
最近のコメント