この本、買ったのは結構前なんだけど読むのにずいぶん時間がかかってしまった。
読み進むにつれて懐疑的な気持ちが増えてはくるんだけど、後半に出てくる次の一節の疑問は僕にはとても納得できるというか、頷けるものだった。
エンジニアである僕は、次の一節にも魅力を感じた。多分、ある人にとってはソーシャル・ビジネスのアイデアは、まったくの架空のもので、世界がこれまで実現したことのない空想物語のように聞こえることだろう。しかし、それはなぜだろう? 人間はただお金だけによって動機づけられるものだという最終判断は誰が下したものなのだろうか。世界に対して何か素晴らしいことをしたいという願望は、人間を動かす強い原動力にはならないということなのだろうか?
さんざん走らされた先にあったのは経済危機だった。IT企業にぜひ作り出してほしいと私が考えている開発途上国のための最も力のあるツールは、開発途上地域の貧しい女性がいつも身につけていられる装置だ。それは新しい種類の装置であるーーノートパソコンでも、携帯情報端末(PDA)でも、携帯電話でもないものだ。それは現在では先見の明のあるデザイナーの瞼の裏ににみ映っているような、新しい種類の装置であるかもしれない。
今度はもっと確実なもののために走ってみたい。その可能性の一端を垣間見る思いがした。
貧困のない世界を創る
猪熊弘子
by G-Tools
[いいですね]
>人間はただお金だけによって動機づけられるものだという最終判断は誰が下したものなのだろうか。
お金だけによって動機付けられる人間のほうがコントロールしやすいから、人間をコントロールしたい人がそういう人間を量産しているのだと私は思ってます。
現金をばらまく政策なんて、現金をばらまかれて喜ぶ人間じゃなきゃ考え付かないと思うし。
「千と千尋の神隠し」で、「かおなし」が湯屋で豪遊しているシーンが人間の強欲さとダブっちゃって、いつ見ても空恐ろしい気分になっちゃうんですよねー。
投稿情報: Laka | 2009/06/11 13:49
僕は仕事をしていて、いつも違和感を感じるのは、「定量的に示せ」と言われることなんです。エンジニアとして定量化の重要性はもちろんよくわかっているんだけど、「エラい人」のなかにはそれだけで物事を判断しようとする手抜きな人も結構多いんですよねえ。。。
僕は「お金だけによって動機づけられるものだ」というのは、要するにそういう手抜きのための屁理屈なんじゃなかろうか?と思います。
金融危機を招いた原因にしたって、似非科学みたいな「金融工学」なんてモノで手抜きをしたという面が大きいと思う。
人間の強欲さを利用するという考え方はまあありだろうなと僕は思うんです。誰にでも存在することが実感できるモノで、誰でもそれが利害関係を持つということも理解している。結果的にどこかに牽制力が働くという考え方は無責任なようで人間の本質をついている。でもそれをお金だけを尺度にして考えるというのはあまりに手抜きが激しすぎるということだと思う。そういう点で、現金ばらまき政策というのは手抜きですが、本質をまっすぐついているともいえる。
この本を読んで懐疑的になってしまうのはその辺のバランスなんだと思うんですね。貧しい人たちが豊かになっていく過程でそういうバランスをとっていくのはなかなか難しいだろうなということ。それはニッポンが通って来た道でもあって、そこによい解を本当に見つけられるのだろうか?という懐疑です。
人間は大丈夫だと根拠なく楽天的に考える自分もいたりはしますけど。
投稿情報: んちば | 2009/06/13 09:43