歩くのは昔から好きなのだけど、nike+iPodを使い始めてから、ますます歩くのが楽しくなった。
なにが楽しいかというと、歩いた距離がわかるからなのだ。
もちろん完全に正確というわけではないのだろうけど、一応距離表示のあるサイクリングロードでキャリブレーションして、さらに歩いてほぼ正確な距離が出るのを確かめた。だからまある程度信頼できるのだ。
それでわかってきたのは、なんとなく歩いて移動する距離は意外と長いということだった。
目的地があるときの距離は長く感じるが、散歩でぶらぶら歩いているときは実際の距離より短く感じる。休日に散歩をしていると、気がついたら10kmということがよくある。しかしこれが全然長く感じない。札幌の地下鉄は駅間が比較的短いから、3つとか4つとか平気で歩けてしまうのだ。
歩きながら考えた。
子供の頃、自転車に乗り始めたら自分の力で動ける範囲が急に広くなってうれしかった。自分で貯めたお小遣いで鉄道旅行に出たときも、行動範囲が広がってうれしかった。免許をとってバイクや車で移動するとその自由な広がりがうれしかった。仕事で飛行機にちょこちょこ乗るようになったら、単位時間あたりの移動距離がぐっと広がって面白かった。移動するスピードが速くなるにつれて自分の世界が広がったような感じがした。
でも、改めて自分の足で歩いてみて、移動中に自分が見ているモノの量はあまり変わっていないのではないか、だとすると移動スピードが速くなるということは感じるモノの密度が低くなっていることなのではないだろうか?と考えた。
歩いているときに目に入るモノの量は乗り物に乗っているときとは比べ物にならない。それに気づくと歩くのが楽しくて仕方がなくなった。歩いているときはいろんな事を考える余裕がある。ボーッとしていても危険は少ない。細い路地にだって入っていけるし、意外な近道を見つけることもある。
nike+iPodが表示するのはただの数字だけど、その裏には景色や道端のモノや、心に映っては消えていく思いみたいなものが詰まっている。
歩くことで昔の距離感が戻ってきた。それがなんだかとてもうれしい。
歩きながら考えた。
子供の頃、自転車に乗り始めたら自分の力で動ける範囲が急に広くなってうれしかった。自分で貯めたお小遣いで鉄道旅行に出たときも、行動範囲が広がってうれしかった。免許をとってバイクや車で移動するとその自由な広がりがうれしかった。仕事で飛行機にちょこちょこ乗るようになったら、単位時間あたりの移動距離がぐっと広がって面白かった。移動するスピードが速くなるにつれて自分の世界が広がったような感じがした。
でも、改めて自分の足で歩いてみて、移動中に自分が見ているモノの量はあまり変わっていないのではないか、だとすると移動スピードが速くなるということは感じるモノの密度が低くなっていることなのではないだろうか?と考えた。
歩いているときに目に入るモノの量は乗り物に乗っているときとは比べ物にならない。それに気づくと歩くのが楽しくて仕方がなくなった。歩いているときはいろんな事を考える余裕がある。ボーッとしていても危険は少ない。細い路地にだって入っていけるし、意外な近道を見つけることもある。
nike+iPodが表示するのはただの数字だけど、その裏には景色や道端のモノや、心に映っては消えていく思いみたいなものが詰まっている。
歩くことで昔の距離感が戻ってきた。それがなんだかとてもうれしい。
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