連休最終日。円山に登って下りてブラブラあるいて大通りでゴール。9キロ弱歩いた。歩いた後のビールは美味いのだ。
公然の秘密ってやつをほじくり返すとたいてい厄介なことになるよね。
密約暴露→追認→改正→晴れて合法
ってのはまだ心の準備が出来てない。
鳩が鷹ってのに胸騒ぎが。。。
リスト下位がどんどん入れ替わるな。
読書の秋に突入!って感じ。
文芸系の補充が必要。上位の本も再開しなきゃ。
上位とか下位とかは単にリストの上下を表しているだけで中身のことを行っているわけじゃないのだな。
この本、僕が読みたかったものだ。
もともと旅モノが好きなのだ。なかでもアジアものは好きだ。
でも、通りいっぺんの、ここに行ってきましたこうでしたというのはいまひとつだ。そこで経験した事から考えたことを淡々と書いたモノが好きなのだ。この本はまさにそういうことがかかれている本だった。旅モノは正確ではない。旅のことも書かれているエッセイ集だな。
特に印象に残ったのは天山北路(新疆ウイグル自治区)の食べ物の話。それとオリエント急行のどんなに揺れても動作を止めずに一滴もこぼすことなくワインを注ぐ食堂車のスタッフの話。そして涙腺がゆるいとやられるお母さんの話。
僕はこれまで角田光代作品は読んだことがない。でもこの文章を書く人ならたぶん大丈夫。もっといろんな作品を読んで見たくなった。
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この人の作品を読んでいるとなんだか懐かしい気分になる。
なにが懐かしいかといえば、ストーリーが昔の少女マンガっぽいのである。
「昔の」と言っても漠然としている。具体的に言うと三十数年前の「りぼん」である。なぜ「りぼん」かと言えば、そのころ僕は毎月欠かさず「りぼん」を読んでいたのである。
作者も書いているとおり、始まりは「落ちモノ」。「少女が空から降ってくる」みたいに、突然行き倒れの「いい男」を拾うのである。そしてそいつがすばらしくよくできたヤツなのである。家事全般をこなし、節約家で、そして休日には主人公を外に連れ出して「雑草という名の草はない」なんていいながら道草を摘み、魔法のように美味しい料理を作るのである。そしてとても主人公を大切にしてくれて、あまりに大切にしてくれるが故に主人公は悶々と贅沢な悩みにひたり、いつかいなくなってしまうのではと不安に思うのである。そしてそして。。。
きっとこんな感じのマンガを読んだことのある人はいるでしょう?
こう書いてみると古いとかつまらないとかけなしているように見えるかもしれないけど、なかなか面白いし、僕はこの手の話は結構好きなのである。
恋愛部分はまあある程度想像がつくと思うけど、この小説のよさは「植物図鑑」の部分なのである。道草料理がまた美味そうなのだ。「植物に名前があること」への素直な感動がいいのだ。
別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます。
と、川端康成が言ったそうだ。ふうん。
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江戸の街は開かれた当初から水道があった。というのはなかなかすごいことだとずっと思っていた。でもそこは江戸時代の事で、どこにでも水道が引かれていたわけではないのだな。
江戸の水道は武蔵野から引かれていた。要するに西の方から東に向かって引かれていたのだ。そして、東の果てが大川(隅田川)ということになる。当時の自然流下の水道では大きな川を越えるのは無理だったのだ。
そこで、大川の東側は水売りが水舟を使って配水事業をした。この小説の主人公はこの水売りだ。
山本一力は江戸の町を成り立たせていた商売にスポットを当てて小説を書く人だが、なかでも水売りに目をつけるなんてさすがだと思う。
ただ運ぶだけの水売りが美味い水造りを始めるまでの成功物語、と言ってしまうとちょっと違う。人の心が変わってしまうことによる挫折、悲しみ、苦しみ、それを乗り越えて大きくなって行くであろう男が主人公。多少終わりが中途半端と感じる人もいるかもしれないが、そこはあえてそこで余韻を残したというほうが正しいだろう。
うまくいくときがあればそうでないときもある。そういう人生を綴って心に残る作品だと思う。
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