フィンランドといえば、とりあえずは「かもめ食堂」で、ちょっと前に流行った「学力世界一」くらいしか知識がない。でも北海道と気候が似ていそうだし、北国育ちの僕にはなんとなく親しみのもてる国だ。そんなわけでジュンク堂の語学関連の書棚をながめていて見つけたのがこの本。
もちろんフィンランドのことを書いてあるんだけど、タイトルどおりに「言葉」のことを中心に留学生活のことを書いてある。難しいことは書いていないけど、「言語」に対する興味のある人はちょっと読んでみるといいかもしれない。
この本を読んでみて、フィンランドが学力世界一というのは短い間に起きたことではないのだなあと思った。要するに学校制度自体が学びたい人に開かれているということなのだ。学ぶことはたくさんあり、どれだけ学んだかは試験で厳しく査定されるが、試験にチャレンジするチャンスが頻繁にある。及第点をとることができても、この本の著者のように自分で納得がいかなかったら納得がいくまで試験を受け直すことができる。まあ、そういうひとばかりではないのだろうけど、試験は基本的に建前で、年次を所定の年数でこなすことに最大の価値をおくニッポンとは学ぶということに対する考え方が大きく違うようだ。とりあえずこなせばいいという発想が染み付いたニッポンの学校教育は、どこかでなんとかしないとまずいのだな。
僕はこの本を読んだら「もっといろんなことを勉強したい!」という気持ちになった。
フィンランド語は猫の言葉
稲垣 美晴
by G-Tools
先日の、定量化の話につながりますね。
ずいぶん前になりますが、カリキュラム(教科書)を持たずに子供を教えている学校というのをテレビでやってました。
ある雨の日。
「今日は雨ですね」→「雨が出てくる小説」(国語)→「雨が降ると何が起こるの?」(理科)→…のように、子供の興味の数珠つなぎの中で新しいことを教えていくという授業だったんです。
定量化できない教育だけど、誰も落ちこぼれない教育だと思いました。
「学ぶ」ってことは定量化も、フローチャート化もできないものだと思うんですよね。
出発点もベクトルも、その太さも長さも、ひとりひとり違うわけだから。
>試験は基本的に建前で、年次を所定の年数でこなす
試験も、年次を所定の年数でこなすことも、どちらも目的じゃなくて手段なのに、ね。
勤めていた時の目標管理で、私が担当していたスタッフ業務は定量化がものすごく難しかったんですね。
だけど「目標管理シートに書くため」には定量化しないといけない。
なぜなら、目標振り返りの際、定量化できていない項目については達成度が計算できないから。
じゃあ定量化した部分について100%達成すれば組織目標の達成に貢献できるかというとそうではなく、漫然と数値目標をこなしても意味がない。
上司もわかっていたことですが、釈然としないまま、「目標管理の上位項目は定量化できるものだけ」と割り切っちゃってました。
投稿情報: Laka | 2009/06/15 20:33
>「今日は雨ですね」→「雨が出てくる小説」(国語)→「雨が降ると何が起こるの?」(理科)→…のように、子供の興味の数珠つなぎの中で新しいことを教えていくという授業だったんです。
これ、いいですね。
連想しながら学んだことって忘れないんですよね。
僕は昔から丸暗記が苦手でした。知識をいろんなものに結びつけて置かないとダメなんです。だから必ずしも効率がよくないし、物事を理解するのに時間がかかるんですけど、それが自分の学び方なんだなあと思います。教育ってそういう一人一人の学び方を作ることなんでしょうね。
目標管理は定量化とくっついて問題が多くなったのだと思います。
組織目標がまたわけのわからない目標であることが多い。「xxを100%達成する」とか平気で言う。実は100%達成するっていうのは定量目標じゃなくてただの精神論だっつーの。僕は100%というのは数字じゃないと言っています。大抵根拠がないし。
目標管理で定量化すると、できることしか書かなくなるんですよね。僕なんか既に手をつけていてほぼ終わっているようなのを目標に書いたりしているもんなあ。だから最近は上司との面接も雑談です。みんなあまり意味がないことがわかっちゃっているから(^^;
目標を立てるのは必要だけど、結局評価ができないから定量化というごまかしで手を抜く。すると組織が徐々にガタガタになっていく。これは怖いです。定量化した目標管理に真面目に取り組めば取り組むほど組織がマズくなる。これは日本型経営に対するアメリカの陰謀だ(と、言うようなことをとあるTQMの先生が言ってました)。まあ、これは余談ですけど。
試験は自分の実力を測る道具。及第とか合格はふろくと割り切って勉強に勤しみたいものです。仕事も同じだな。。。
投稿情報: んちば | 2009/06/15 21:31
私も丸暗記が猛烈に苦手でした(笑)
年表丸暗記に重きがおかれていた歴史なんて、挫折しまくり。
歴史こそ過去から現在が結びついているものなのに。
最近、ちょっとした漢字がどんどんひらがな表記になってますよね。
これが許せないんですよ。
「へん」があって「つくり」があって、漢字を見ればその言葉の意味も瞬時に理解できる(明確にわからなくても、どういう分野のことかくらいは察しがつく)というのに、接続語と区別のつかないひらがなと中途半端な漢字1文字なんかを組み合わせて言葉を表記している。
おかげで新聞や小説を読んでも、読みづらいことこの上なしです(怒
これをこのまま続けていったら、日本人から想像力がなくなってしまうに違いないと危惧してます。
「間違いやすい漢字本」なんてのを発行する前に、こういうのをやめればいいのに、って思います。
漢字で言葉を覚えれば、言い間違いや意味のはき違いもなくなるのに。
…「連想しながら学ぶ」という言葉に、日頃の苛立ちが反応してしまいましたスミマセン。
>これは日本型経営に対するアメリカの陰謀
アメリカにとって、日本の「家に仕える」という思考が邪魔だったのは間違いないはず。
以前、上司から正当に評価されていないと感じた時どうするか、みたいな事をカナダ人と話した時、ものすごーいギャップを感じました。
どちらも一長一短ですから、外からのものをうまく取り込んで独自のものを作り上げるのが得意な日本人気質の本領を発揮してもらいたい分野です。
投稿情報: Laka | 2009/06/16 13:43
漢字って情報量が多くて便利だと思うんですけどねえ。
まあ、同じ言葉でも漢字とひらがなではニュアンスが違う場合もあるからあえてひらがなということもあるんでしょうけど。。。
漢字といえば、この本。大好きです。ぜひ小学生にはこういう本で漢字を学んでほしいです。
投稿情報: んちば | 2009/06/16 22:09