この人の描く江戸の人々は優しいとつくづく思う。
暖かく見守るというような優しさではなく、時には敵と思えるような厳しさで鍛える。見込んだ者を本物に育て上げようとする人々の目。「だいこん (光文社文庫)」と同じように、厳しさに真摯に立ち向かってひとかどの者になっていく主人公を軸に、周囲の本当の優しさを持つ人々を描くのが作者は好きなのだ。
相変わらずここに必要なのかと疑問に思う冗長で説明的な江戸の風物の描写が気になるし、最後には主人公が誰なのか解らなくなる欠点はあるように感じるが、主人公が自分の才覚でトントン拍子に成功していく物語はとても楽しい。
なんだか都合が良すぎるストーリーではあるが、時代物はファンタジーなのだからそれでいいのだ。
平日の空き時間に読みつづけて二日で読んでしまった。
峠越え (PHP文庫 や 40-1) (PHP文庫 や 40-1)
山本 一力
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初めて椎名誠の文章を読んでからたぶん25年以上経っている。最初に読んだのは旅雑誌で、時刻表完全読破みたいな記事だったと思う。なんだか面白い文章を書く人だなあと思っただけだったが、後に社会人になって東京に住んでいたときに電車の中の読み物として文庫を次々と読むようになった。
その中では「パタゴニア―あるいは風とタンポポの物語り (集英社文庫)」という作品がとても好きで、これを読んでパタゴニアの印象が脳裏に焼きついた。
ここ数年の椎名誠は、歳のせいか落ち着きのある文章になっていて、昔の勢いがなくなったような気がしてしばらく読まなかったのだが、書店でこの本をみつけて、パタゴニアという文字に引かれて買ってみた。
もちろんパタゴニアに行った話は魅力的なのだが、この本で一番印象的だったのはチベットだった。
パタゴニアにしてもアマゾンにしても、僕達の暮らしとはかなりかけ離れた世界なのは間違いないのだが、どちらもそこに住む人々の心持ちみたいなものがなんとなく想像できるというか、あまり僕達と違わないのではないかと思えるところがある。しかしチベットの人々の気持ちはなんだか想像がつかなかった。もちろん僕自身の体験ではなくて、椎名誠の体験を本で読んでいるわけだから、たぶんこれは椎名誠が感じたことなのだろう。
何ヶ月とか何年とかかけて聖地に巡礼する人々とか、日本で言えばかなりの田舎だと思えるような街でもそこが毎日お祭りのような世界だと感じて金を使い果たして郷里に帰ることもできずにブラブラしている人のことが書かれている部分を読んで、果たしてこれが本当に同じ地球に住む人々なのだろうかと思ったりした。
100年以上も前と変わらない暮らしを続けているのを知ってみると、僕達の暮らしが彼らよりも幸せだとは言い切れないのだなと思った。
そういう世界を自分の目線で淡々と綴っていくのが椎名誠の醍醐味だったな、と思い出させてくれた一冊だった。
真昼の星―熱中大陸紀行 パタゴニアアマゾンチベット (小学館文庫 し 2-4)
椎名 誠
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考えることについて考えるのは結構楽しい。
この本、書店でわりと平積みになっているのを見かける。売れているんだな。
最初の発売が1986年。結構古い。だけど中身は全然古くない。むしろ最近書かれた本みたいだ。
文庫の腰巻に「もっと若いときに読んでいれば...」というアオリが入っているのだが、僕もそう思った。
アイデアとか、まとまった考えというものは、どこからか沸いてくるように思いがちだけれど、それはそれまでに蓄えた経験とか知識があってのことだ。本を読んだりして情報を集めるのもそのひとつ。
だけどそれが自分なりの「考え」と呼べるものになるにはある程度の過程と時間が必要。例えばその過程には「寝かせる」とか「忘れる」というものも必要。と書いてある。
こういうのは経験的にわかっているようで、実は実践が難しいことだ。「忘れる」というのはとても無駄で良くないことであるように学校で仕込まれてきているから、忘れることにはほとんど恐怖といっていいような感覚がある。「寝かせる」にしても、本当にひと晩寝たらいいもっといい考えが生まれるなんて、「今日できることを明日に延ばすな」と教え込まれてきたらとてもじゃないけど信じられるものではない。
この本では古今の人々や著者自身の経験を通じて、これらを必要なこととして論じていて、大変ほっとする。
もちろんこのような行動原理が効果的に作用するためには、日頃からやっておくことがあるわけで、それは結構まめでないとできない気がするのだが、その辺もちょっとした習慣づけについて具体的に書かれている。
僕もその手のちょっとした日常の工夫をいくつかやっていて、その中心はとにかくノートをとるということだ。小さめのノートとペンを常に持ち歩いていて、アイデアでもTODOでもなんでもそのノートに書いていく。注意しているのは日付が変わったら改ページすることと一番上に日付を書くこと、項目毎に連番をふること、あとでちょっと書き足したりすることを考えて空白行を入れること。
そういう雑記ノートから派生して、予定は手帳に転記し、一日の終わりにはそのノートを眺めながら日記を書き、こうやってブログに記事を書いたりすることになる。
雑記帳的ノートにメモしていくのが情報収集の段階で、最近は本を読むときにもちょっとした工夫をするようになった。手元にポスト・イット フラッグというのを持っていて、読んでいてこれは面白いと思ったり、あとで引用したいと思う場所に貼るのだ。それと、本の扉を開いた最初ページに大きめのこれまたポスト・イットを一枚張っておく。ページに貼ったフラッグのほうにちょっとメモもできないことはないが、小さいので、思い浮かんだアイデアをこの最初のページに貼ったポスト・イットにメモしていく。
こうやってちょっとした工夫をしながら本を読んでみると、読みながら頭がよく働く感じがする。
そんな断片を集めてまとまった文章としてアウトプットするというのは「考え」をまとめるために重要で、それが日記だったりブログだったりする。日記もブログも目的ではなくて手段なのだな。
ノートに書いたり、日記やブログを書いたりするのは安心して「忘れる」ためにやっていることらしい。人のアタマというのは大事なことは忘れないもので、こういう手段を介して情報を取捨選択することでより整理された「考え」を生み出すようになっている(とこの本に書いてあった)。
僕の細かい工夫は情報整理系の本や情報を読んで試行錯誤的に自分に合うものを構築してきたものだけど、この本を読んでなぜそれらの工夫がしっくりくる感じがするのか解ったような気がして、とりあえずは間違ってないなというような安心感を持つことができた。
考えることについて考えるのは究極の考えることなのでとても楽しいのだ。
思考の整理学 (ちくま文庫) (ちくま文庫)
外山 滋比古
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3M ポスト・イット フラッグ 透明スリム見出し・エコノパック 9色混合 4.4×0.6cm 680MSH
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Remoteがなかなか便利。とりあえずゴルゴ13でも読んでからゲームでも物色してみることにする。
一口食べると幸せになる食べ物やお菓子は何ですか?それにまつわるエピソードも教えてください。
旭川に、「だるまや」というお店がある。数年前までは駅前の「アサヒビル」の古い地下にあったのだが、今はもう少し東の方に移って営業している。
「だるまや」といえば「バナナ焼き」で、くせのない白あんがうまいのだけれど、僕は昔からたっぷりと小豆あんの入った「たい焼き」のほうが好きだった。学生の頃、学校の帰りにちょっと寄って、たい焼きを三つ食べるのが楽しみだった。当時は一個60円。店で食べると番茶を出してくれて、これがまた合う。三つ食べても200円にならず、なんだか満ち足りた気分になったものだった。
今でもたまに旭川に行くと買いに行くのだが、アサヒビルにあった当時に変わらず繁盛しているようで、時間によってはだいぶ待たなければならないことがある。お店の人は先に電話でくれれば作っておきますよと言ってくれるのだが、食べたいと思ったときには電話番号が手元にないのだった。今度はちゃんと電話してから行くことにしたい。
パリッとした皮の部分のあちらこちらにあんこが透けて見える「たい焼き」。また食べたくなってきた。
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