本と出会うというのはまさに「出会い」だと思う。会社帰りに毎日のように覗く書店でも、ぜんぜん目につかない本もあればパラパラとめくっても結局買わない本もある。まさに本の海という感じの広い書店をわくわくしながら歩いてみても、なかなかコレハと思う本が見つかるものではない。集中力が今ひとつということもあるし、懐具合だって思考に影響を与える。もちろんすべての棚を隅から隅までチェックすることなどできない。そんな悪条件(?)の中で一冊の本を手に取って読むというのは出会いというほかないではないか。
小説での出会いの難しさのひとつは、なかなか新しい作家にチャレンジできないということである。作家によっては一人で棚を占有するほどの作品がある人もいて、そういう作家の作品は何冊も読んで知った仲(勝手にそう思っているだけだけど)なわけで、ひっかかってしまうとそこからなかなか抜けられないものだったりするし、知らない作家の作品を読むのはいつも前を通るちょっと立派な家をいきなり尋ねるような気後れがするものである(ちょっとおおげさ)。
そんな時に、集団お見合いみたいなこういう本はありがたいわけである。なかには何人か旧知の人もいたりして敷居が低く感じるのもいい。新しい出会いはこういうところからも始められるのだ。
この二冊はシリーズで、並べて置いてあった。どちらも僕の大好きな池波正太郎の作品が冒頭にある。他の作品も一流の有名どころばかりで、実はとても贅沢な本だ。
二冊一緒に買って、同じ書店のカバーがかかっていたので、買った翌日に読み始めた本と違う方の本を持って家を出てしまった。それで二冊同時に読むことになってしまったのだが、短編集だからほとんど問題がなく、結局翌日中には読み終わってしまった。
特に好きなのは「世話焼き長屋」の「浮かれ節(宇江佐真理)」、「小田原鰹(乙川優三郎)」、「親不孝長屋」の「釣忍(山本周五郎)」。「神無月(宮部みゆき)」は他の本で読んだがこれもいいのだ。
短篇のよい作品ばかりなので時代モノは苦手という人もぜひ手に取ってみてほしい。新しい出会いがあるかもしれない。
僕もこの中から読んだことのない作家を選んで次の本を読んでみようと思っている。
炊いたご飯へ、鰹節のかいたのをまぜ入れ、醤油をふってやんわりとかきまぜ、ちょいと蒸らしてから、これをにぎりめしにして、さっと焙った海苔で包む。
冒頭からこんな書き出しの「お千代」。さすがは池波正太郎。お腹が鳴るなあ。
親不孝長屋―人情時代小説傑作選 (新潮文庫 い 16-96)
縄田 一男

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